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今日の記事はちょっと長文です。 [子供のこと]

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↑令和2年3月21日撮影
NikonD810
AF-S NIKKOR 200-500mm f/5.6E ED VR
福井県高浜町鳥居浜海水浴場

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↑令和2年3月21日撮影
NikonD810
AF-S NIKKOR 200-500mm f/5.6E ED VR
福井県三方郡美浜町日向 日向湖

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↑令和2年3月21日撮影
FUJIFILM X-Pro2
XF18-55mmF2.8-4 R LM OIS
福井県大飯郡高浜町事代 二の丸稲荷大明神



今日の記事はちょっと長いです。

コロナウィルスの関係で自宅に閉じこもってる皆さま、

お暇があるときにお読みいただければ幸いです。


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長男、次男が難関大学と言われる、東京大学、京都大学にそれぞれ入学しました。
最近は、周りから「どこの塾に行っていたのか」「うちの子は勉強しないがどうしたらいいのか」などのご質問を受けます。
田舎のことなので珍しさもあってか長男が合格してからは、近所の子供が「東大生みた!」みたいなことを言ってるらしいです。
色々聞かれても、一言ではなかなか言えないこともあって、曖昧な返事しかできてません。すいません。
僕もヨメサンもこれらの大学に子供を入れようと目標にしていたわけではないのですが、結果こんなことになってしまいました。
これからお書きすることは、僕自身の備忘録でもあります。
そして、微力ながら誰かのお役に立てればと思いブログにアップするものです。
学歴があったからといって人生幸せになるわけでもないです。お金といっしょですけど。
子供たちにとっては最終目標でなく、やっと自力で人生をひらくスタートにたったところでしょうか。

■私自身の少年期
小学生、中学生の頃の私は注意力が散漫で、相手の気持ちがうまく理解できない。精神カウンセラーに診てもらったわけではないですけど、いわゆるADHDの症状に当てはまるような子でした。
だから何をしても面白くない。意識のすれ違いで友達を気づけたり、誤解が原因でキズついたり。高校生のときはチック症の症状が出ていた時もありました。中学まではそれなりの成績でしたけど、地元の進学校に入ると成績は中程度。「もっとできるんじゃないか」という思いは常にありました。今から思うと、子供たちに勉学を伸ばそうとするバネになっていたかもしれません。

■子供が生まれて
僕もヨメサンも子供を有名大学に・・・とは思っていませんでした。だから小さい頃から塾や習い事に通わせたわけではありません。田舎ですしね。
教師だった叔父は、「子供においしい料理をいきなり食べさせても意味がない。まずはそれを消化できる胃袋が出来ていないと」みたいなことを、子供のころに聞かされていたし、読み書きの基礎が最も重要だとは、直感的に感じていました。例えば数学は計算をする学問でなく、順序たてて物事を理解する学問だと思っています。中学校の数学問題でつまづくのは、何を問いかけているのかわからないことが大半だと思っています。何を問いかけているかは、問題の文章を読み解くしかないのです。
だから、子供が鉛筆を握れるようになった頃からは、紙、鉛筆は常に手の届くところにおいて、書くことに抵抗がないようにしてきました。
それから図鑑(子供用、大人用)もすぐに本が開けられるように手元に置きました。
例えば、生物図鑑は自然界の生き物が一見無秩序に見えても、界・門・綱・目・科・属・種と秩序をもって体系的に整理できることが無意識のうちに理解できます。
そして、図鑑に載っている魚や鳥の絵を子供に描かしては褒める。親から書かすことを強制すると、低学年まではいいけど、やらされてきた感が残像と残ってしまい、高学年、中学生になって拒否反応が出てきます。だからきっかけはつくるが子供が書くまで我慢強く待つ。で、書けたら褒める。大きい声で大げさに。そうすると子供は自分が自主的に行動したことに、親がほめてくれると思い、頑張ってまた書く。これの繰り返し。書くことで勉強への準備や、事象を覚える訓練にもなったと思います。
また、書くことと同じくらい重要な「読む」については絵本をとことん読みました。
当時あまりネットが発達してなかったから、どんな絵本が良いかは本屋に足を運ぶしかありませんでした。週に1冊から3冊くらいの絵本は買ったと思います。そして読む。親子で声をだして。子供は覚えるのが早いが忘れるのも早い。だから子供が覚えるのじゃなく、親が覚えるまで、お気に入りの本は何度もです。
アンパンマンみたいなキャラクターの本じゃなくて、「かこさとし」さんの絵本や「ぐりとぐら」「しょぼうじどうしゃじぷた」等、僕が子供のころからあった定番の絵本が多かったと思います。
たくさん絵本を買ったので、次男が保育園を卒業するときは、数十冊を保育園に寄付しました。

■小学生のころ
子供が小学校に入るとき、ヨメサンと決めたことが一つありました。それは、先生の悪口批判は絶対に言わないことです。ヨメサンからの提案です。親が否定してしまうことで子供も先生のことを信頼しなくなり、授業も聞かなくなる負の連鎖が起こってしまうからです。
これだけが原因ではないと思いますけど、子供たちは授業の内容を集中して聞けたと思います。保護者懇談会でも授業への態度がいいと先生に褒めていただいたことが何度かありました。授業への真摯な態度は高校三年生まで保つことができました。学校での授業が基本であることは、特にヨメサンが何度も子供たちに言ってました。
もうひとつヨメサンが実行したのは、宿題を子供部屋ではなく食卓のテーブルでするようにしたことです。ヨメサンもフルタイムで働いていましたから、夕食の準備をする時間に食卓のテーブルで宿題をしていたそうです。こうすることで一人ではわからず問題を投げ出すようなところを一緒に考え、必ず解決策があることの癖がついたと思います。
小学生になり、読みたい本も絵本を卒業すると、基本的には子供の興味の沸く本はなんでも買いました。何がよくて、何が悪いかはこちらからは言わないようにして、子供の自主性を尊重しました。本だけはお小遣いとは別会計としました。
小学2年生の頃には読み書きの基礎は、長男、次男とも出来ていたと思います。

■ロウソクの科学 (岩波文庫)
岩波文庫に「ロウソクの科学」という本があります。僕が高校生の時、物理の先生だったと思いますが、この本はとても素晴らしい本だと勧められました。高校生の当時読みましたが、パラフィンという材料が頻繁にでてきて、「パラフィンって何?」と、そこで引っかかってしまい全然面白くなかった記憶があります。
ただ、この本はいい本であるらしいことはわかっていたのでずっと本棚に残しておいたのですが、長男が小学3年生の夏休みに、「この本を読んだらゲーム買ってやる。」といったら、スラスラと読みました。で、面白いと。 ・・・は? こちらから読ましておいてナンですけど、読めた・・・くらいならわかりますが、面白いですと? 子供の悪知恵で、ゲーム欲しさに頭に入っていなくても読んだフリをすることは可能です。でも、そばで様子を見る限りそんなことはなくかなり集中して読んでいました。読解力がずいぶんついたと実感しました。
後日談ですが、ノーベル賞受賞者の東京工業大学の大隅良典先生は、受賞後のインタビューで、この本が研究者としての原点だとおっしゃってます。でも、いまだに僕にはこの本の素晴らしさがわかりません。僕にはノーベル賞は無理です。もちろん子供たちも無理ですけど。

■京都大学 M先生との出会い
子供たちが小学生の頃、長浜市では0次コホートといいまして、京都大学と連携して市民1万人から集めた様々な健康情報、血液や尿の成分、環境・生活習慣の情報などを統合して解析する事業がありました。この事業の参加者を募集するため、長浜バイオ大学でイベントの一つとして、京都大学のM先生がゲノム(遺伝子)についての講義をされました。
長男が小学4年生だったとおもいますが、その講義を大人に混じって聞いていたところ、M先生に声をかけていただきました。そのとき大人びた質問(関西弁では、こましゃくれた質問といいます)をしたもんですから、ぼくははずかしかったのですが、先生はとても気に入っていただき、後日京都大学の研究室へ2回ほど招待していただき、研究の内容や、施設を見せていただきました。
余りも気をかけていただくので、恐縮に思い一度質問したとことがあります。先生曰く、「私も四国の田舎で育ち、小さい頃大学の先生に声をかけていただいて医学の道を目指すことになった、今度は私が、子供たちに研究のすばらしさを教えてあげたい。塾での受験勉強づけで合格した都会の学生よりも、田舎で勉学に励む子供を応援したい」と言っていただきました。
長男、次男とも合格した後、M先生に招待していただいたことで、それぞれ大学を目指したと言っています。
■中学・高校時代
 子供が中学、高校時代は、私自身の仕事が忙しく帰りが遅いこともあり実はほとんど子供の面倒を見ていませんでした。長男が中学一年生のとき福島県に1年間単身赴任していたこともきっかけだと思います。ヨメサンも勉強に関してはあまり関わってなかったように思います。
何かしら子供たちに影響を与えられたとしたら、福島から帰った後、ある国家試験を受けるため、土日はかなり一生懸命勉強をしたことでしょうか。このころはテレビなどは見ず、平日は仕事から帰って1時間、土日は朝ジョギングしたあと午前か午後の半日間の勉強の繰り返し。2年目に合格したので、各年とも1月から試験のある8月までの約半年間、親自身が勉強しているところを見せられたのはよかったと思います。
また、ヨメサンは琴を習っておりまして、これも始めたのは子供が生まれた後なのですが、この頃、師範の試験に合格しています。琴だけでなく三味線や唄も必要みたいで、毎日コツコツと練習をしていました。
両親がこんな感じでしたので、テレビもNHKのニュース以外はほとんど見ることがなく、今から思えばかなりストイックな環境だったように思います(笑)
この時期、僕もヨメサンも絶対にしなかったことがありました。それは長男と次男の比較です。長男はコツコツタイプで部屋も整理整頓、次男は脱いだ服もそのまま床に置きっぱなしでダラダラ感が強い感じでした。学習態度も成績も、やはり長男のほうがよく(手前味噌で申し訳ありませんが、成績表も中学時代は5段階で体育以外はほぼ5でした。)次男はそれに比べちょっと落ちる感じでした。長男と次男は2学年違うのですが、「お兄ちゃんはこうだった」みたいなことは、親なのでやはり思ってしまいます。でもそこは絶対に言わない。次男も十分わかっていたと思いますが。
高校受験では二人とも地元の進学校に入学することができました。長男は特別選抜の受験で早々と合格しましたが、次男はそれに落ち一般入試で合格しています。次男はこのことがコンプレックスにあったみたいです。そこでくじけず勉強を頑張ったと後で言っていました。その時、何気なくでも長男との比較を口にしていれば、次男はくじけていたかもしれません。

■長男の受験
 長男が東大を受験したいと言い出したのは、三年生の夏の終わりでした。理由を聞くと、東大は1類から3類までの分類で受験し、3回生から具体的な学部学科へ成績順で振り分けられるので、2年生までのあいだにじっくりと進路を考えたいとのことでした。最難関といわれる東大への受験理由がそれなのは意外でした。東大のメージは官僚か研究者への進路のイメージしかなかったので。後にわかりましたが、高校の進路指導でもそのような理由で東大を進めるケースはあるようです。
三年生5月の模試で東大をエントリーし、AからE判定のうち結果はE判定でした。その時は国立大学になんとか合格できたらいいくらいに思っていましたので、E判定について僕もヨメサンも感想はなく、むしろ、よく東大なんかエントリーしたもんだとねぇとヨメサンと話しておりました。
長男は高校三年間、継続的に塾へは行っていません。夏期講習は理系を何科目か受講したと思います。東大受験を決めたころからはこちらが不安になって、予備校などの受講を進めましたが、京都までの通学時間(往復二時間強)がもったいないからと、自宅での勉強がメインでした。土日も学校主催の模試があったりなかなか忙しいスケジュールでした。
11月頃の模試はC判定となっていました。この時点でC判定ではとても合格は無理とおもってましたが、現役は伸びしろが多いので、学校側も本人もむしろC判定を良い結果と思っていたようです。現役でのセンター試験直前の模試はB判定でした。
そして受験。結果は不合格でした。合格点に17点足りなかったそうです。まあその17点の間には何百人の受験生がいたと思いますが。
晴れて浪人生となった長男は、大津の親戚宅に下宿し予備校通いとなりました。実家を離れての慣れない生活のなか、現役にも増してストイックに勉強していたようです。センター試験直前の12月には、腕が上がらなくなったことがきっかけで、ちょっとしたパニックになりました。相当なプレッシャーがあったと思います。東大受験を言い出した時、「決めた以上、血を吐くまで勉強せいっ」と冗談交じりに言ったのですが、ちょっと言い過ぎたと反省しております。
2回目の受験は東大、私立2校、国立後期の4校をエントリーしました。最近はウェブ上でのエントリーがほとんどで、4校も受験するとなると、日程、受験料の振込、宿泊の予約、合格後の入学金振込などかなり複雑になります。スケジュール管理を一元化し本人も含めて複数で確認しながら日程を組みました。家族総力戦です。
そして3月10日の合格発表。
合格することが出来ました。

■次男の受験
数学的センスは次男のほうがあったと思います。ただ長男とどうしても比べられることになりますので、長男とは別の意味でプレッシャーはあったと思います。
京都大学を目指すと言い出したのは三年生の春。当時の模試の判定はD判定でした。そしてセンター試験の直前の判定はC+判定。現役は伸びしろがあるもと言われてますが、直前でのC判定は正直ダメかなと思っていました。
長男は現役時は東大以外の滑り止めは受験しませんでした。他校の受験の時間がもったいないからだそうです。ただ、他校の受験も経験していないためとても怖かった、緊張したといっています。その経験から次男は私立を練習のつもりで私立を受験させました。
そして、結果発表。
合格です。
直前の判定がC判定だったことや、次年度からセンター試験に代わることから、設問が難化したようで次男本人もだめだと思っていたそうです。

■受験を終えて
難関大学への合格者は都市部の進学校が多数をしめています。小学校から私立に通い、深夜まで塾に通い、家人が送り迎えする家族総出の総力戦です。
でも長男、次男の受験の経験から、
・田舎の公立高校
・現役
・塾なし
での難関大学への合格も手の届くことだと思いました。
長男、次男ともひとつづつ欠けていましたけど。
繰り返しになりますが、学歴があったからといって人生幸せになるわけでもないです。お金といっしょですね。これからの人生、周囲からの過度な期待を背負うこともあるかもしれません。
でも大きな目標に向かって、何をすべきか、それに向けての実践、結果の自己分析、反省を小さな単位、大きな単位で繰り返しおこない、最終目標を達成できたことはこれからの人生の宝になると信じています。
親が子供に教えられることは、勉強の内容でなく、勉強の方法でなく、知識を得ることがいかに楽しいかだと思います。人間、楽しいあるいはためになると思えば、手段は自分で見つける力を持っていると思います。
少し例えが違うかもしれませんが、医者は病気を治すのでなく、その人が本来持っている病気を治す力を助けることに似てるように思います。
もっと大きな視点では、生きることが楽しいと教えることが出来れば、それ以上子供に教えることはないと思います。
受験の結果は残酷ですね。次男は合格したら一緒に下宿しようと言っていた友人二人と、シェアハウスでの生活をすることが出来ませんでした。何年もたってから、笑い話で話せるようになってほしいです。


長文をお読みいただいてありがとうございました

令和2年4月5日 記



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斗夢

読ませていただきました。
先生の影響はこどもの成長に非常に大事なことですね。
こどもの教育の一番は勿論両親ですが、二番目は先生の能力ですね。
こどもを生かすも殺すも先生次第だと思っています、色んな意味で。
お子さんは両親の背中を見て大きくなってきたんですね。
この文章は、これから子育てをしようとしている人に
読んでもらいたいですね。
by 斗夢 (2020-04-06 10:04) 

mzdog

ううむ・・・なるほど、参考になりました。
まあ、自分の子どもはもう大きいので今からだと手遅れですが(^^)
なんというか、内容が示唆的で、単に受験というだけでなく、自分自身の生き方みたいなものにタイヘン参考になります。
ありがとうございます(_ _)
by mzdog (2020-04-07 06:46) 

そらへい

我が家と共通する所は、子供に絵本を読み聞かせたところだけですね。
兄妹でしたが二人とも見事に普通の学力でした。
ただ、嬉しかったのは息子の嫁さんから
まだ生まれて3.4ヶ月の子に息子が絵本を読み聞かせている
と聞いた事です。
覚えていたんだなぁと思わずにやりとしました。
by そらへい (2020-04-07 22:38) 

ゆうみ

娘たちを育てていた頃を思い出しながら読ませていただきました。
転勤族で 娘たちは 色んな土地の学校に行きました。
 勉強は私が見てました。
私も娘が物心つく前から本は読み聞かせをして いつでも 娘たちの目を見て話した位です。

by ゆうみ (2020-04-08 01:12) 

kyon

今はお子さんたちが誕生した時以来の最高潮の幸せな時ですね。
振り返ると長い育児の日々が映像となって蘇ってくるのでしょう。
この気持ちを備忘録として残したい、そんな一区切りですね^^
新たなしばちゃんファミリーのスタートですね。
by kyon (2020-04-10 15:18) 

しばちゃん2cv

みなさまありがとうございました
by しばちゃん2cv (2020-05-24 21:16) 

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